溝上 豊太郎(みぞうえ・とよたろう): | ||
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明治43年(1910年)尾道に生まれる。太平洋美術学校首席卒、春秋コンクール1位獲得。日本肖像画連盟顧問。川端画学校本郷研究所で指導。第一美術に出品後、安井曾太郎などと青楓の研究所を創立する。鶴岡正雄、井上長三郎と交遊する。戦前各会に出品する。
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自画像を描いては洋画壇屈指の存在として知られる人。幼時より画才に秀れ、画家を志して太平洋美術学校に学び、日展審査員・堀進二、中村彜(なかむら・つね)に教えを受けて天分を磨き、コンクールでは常に最高賞を獲得、的確な描写力で名があった。 戦後、感ずるところあって展覧会への出品を止めたが、肖像画を描くことに情熱を燃やし、既に数多くの内外著名の肖像を描いて激賞されている。池田勇人、岸信介、鳩山一郎等歴代の総理大臣のほか西独アデナウアー首相、ダレス長官、シヤウプ博士等の人間像を印して江湖の話題をさらったことも耳新しい。 石川啄木の歌を愛し、純粋に傾倒する氏も又純粋と情熱をこめた人柄であるが、「ひとすじに立派な仕事をすることを念願する」氏の彩管はますます冴えて後世に造る名作が描かれるに違いない。 郷土の生んだ数少ない画伯として名跡を讃えられる人である。現太平洋美術会員。 明治42年(1909年)1月15日生。尾道市久保町407番地。 出典1:【備後備中肖像名鑑 郷土を創りつつある人々】備後文化出版社、昭和37年8月刊 |